話せば分かる

分かるわけねえだろといつも思っている

いくら話したところで正しい1つの結論は出ないのである

話して分からないから投票が必要なのであり
民主主義は多数決なのです

ので

たくさん話すことが人狼において美徳とされることが多いのですが
それはたくさん話せば意見に近付けるとか
思考が見えるという幻想に他ならないのでは
と思う

人狼界隈には
抽象性の高いワードを意味深にたくさん使うだけ使って
後で具体化せざるを得ない状況を作り出す
マッチポンプ的なプレイングする人が一定数存在してるように思える

意識の高い人狼と私は揶揄する


では人狼というゲームとは何なのかと言えば
意見の合う人を探して盤面に残す
意見の合わない人を許容し(自分が)盤面に残る


これしかない


人狼とは政治である
投票がある以上性質が似るのは当たり前なんですが


こう書くとある意味当たり前な気がしてると思うんですが

マニフェストが抽象的な政治家と具体的な政治家どっちが好きって聞いたらみんな後者なはずなのに
自分がやると前者になるのはなぜでしょう


答えは楽だから