公式

公式ってのは圧縮言語なんだと思うんですね
数学全く知らんけど
無くてもいいものだけどあった方が確実に便利なものって認識


東京大学の入試で、中学生レベルの公式が成り立つことを証明せよ、みたいな問題が出たみたいな
そんな話があったような気がしますけど
それに対して日本の教育は公式をただ覚えさせてるだけだ、公式は覚えるだけじゃダメなんだみたいなスケールが大きいだけのTwitterでよくバズってるようなアンチテーゼ的なものがよく語られてますけど


公式という圧縮言語を解凍できることではなく、
公式作った人がなんで圧縮したいと思ったのか
が恐らく大事なんだろうなと
数学全く知らんけど


人狼で戦術論語る人にはその観点が欠けてるよね

すなわち霊ロラだとかグレランとか決めうち進行とか
最初に提唱した人がなぜそれをアイコンとして残したのか
を考えることが大事なのであって
その戦術についての理解を深めることは大した価値ではない
気がしてる


ただし公式を提示しただけでは証明にならないのと同じように
どの部分をどれだけ解凍してあげるか、がセンスと呼ばれるもので

つまりはある角が直角になることを証明しろ~みたいな問題があったときに、
じゃあ毎回三平方の定理?を証明するべきか否か、で言えば恐らくNO
数学全く知らんけど

この辺って多分現国に近いものがあって
50字以内で(あるいは簡潔に)説明しろって言われた時にどこを削ってどこを書くか、みたいな感覚に近い


結局は抽象と具体の話に集約される訳なんですが、
公式とは正しく抽象化という行為だと私は思うんですね
抽象化されたその言葉を具体化できない、というのも問題ではあると思うんですが、
極限まで具体化してあげればいいという訳ではない

しかしそもそも公式が公式足り得るのは
抽象化されたそれが相手にとって分かるサイズの共通認識として存在してくれれば
そんなに楽なことはないからだと思う

この辺で何言ってるか分からなくなって来たとしたら
それはつまり私の抽象化が下手だということでした