マスク美狼

個人の感じ方の振れ幅がクソ広い話。



いつだったか考えていたことがあって

男性が下す顔面評価って減点方式だよなあと思うところがあり
女性が下す顔の評価って加点方式だよなあと思う

絵のことは全然分からないんだけど、
少年誌とかの一般的な美少女の描写って割と削る方向にデフォルメされてる気がするけど
少女漫画の男の子って誇張されて表現されていることが多い気がしてたり、

あとはマスク美人とかいう言葉は最たる例かなと
(逆はキモかわいいとかそういう感覚になる?)

まあそもそも女性一般の文化に化粧ってのがあるので、
必然的に加点方式になっていくような気はしている
(男性側はよく分からん)

マスク美人、いいですよね
揶揄の言葉としても十分すぎる言葉なんだけど
なんつーかすごく好きな言葉、うまく言語化できないんだけど
お面美人みたいな声美人とかそういうその当たり前だろ感のある身も蓋もない言葉として凄く好きです


んでふと思ったんだけど対面人狼においてマスクってどう左右するんだろうなという疑問
あるいはお面でもいいんですけど
表情で読むのが全てじゃないだろうからゲームとして成立しないってことはないんだけど
それやるなら文字でやる人狼とかの方が楽しそうっすね

ともあれでございます
いわゆる人狼における考察ってのは加点方式なのか、減点方式なのか、これまた一つ興味深いテーマかなと思い書いてみた次第


減点方式ってのは「狼ならば嘘をつく、嘘をつくなら何らかの身体的サイン、もしくは論理破綻が起こるに違いない」、
加点方式ってのは「村人(狼)ならば村(狼)の勝ちのために働くに違いない」、が大まかなベースになっているような気がする

ので前者においてマスクってのは割と絶大な効果を発揮しそうである(もちろんマスクしている時点で見えにくいが前提になるから色々変わってくるんだけど)


長期人狼におけるマスクとは多分寡黙のことを指すのでしょう
マスクしてるんだから美人に見えて当たり前、という感覚と同じように喋らなければ狼に見えないのは当たり前なのである
すなわち寡黙狼とはマスク美狼である



では寡黙村人とは何か


すっぴん美人である(隠す必要もないので)


加点方式を信じてやまない村人(狼)が喋りまくった結果自身の評価を怪しいとされてむむむとなる感情は
女の子はすっぴん(すっぴんとは言っていない)が良いという男に抱く殺意に近いのだと思う


ついジェンダーな話になりそうなので一旦筆を置く
ともあれ私はすっぴん美人を装うよ、ゲームなんだから許せよな

読まない自由

読解力と文章力がありません


なので原則長い文章を読めないですし、長い文章をまとめる能力もないです
論文とかを書くのにもっとも向いていないタイプです


さて長期オンライン人狼ゲーム、基本的に読み書きが物を言うゲームかと思われますが、
異を唱えていきたい
意識が低いので。


あんまりこうルールに書いていないことは何やってもいい的思想は好きではないんですけど、
原則寡黙が禁止されてる国ってないんですよね

その上で個人的な好き嫌いはあると思うのですが、
寡黙が悪というよりコミュニケーションが取れないことが悪なんだろうなとも


やっぱり「たくさん喉(時間)を使ったのに寡黙より黒視されるのは納得がいかない」的な、
努力賛美主義な側面が少なからず人狼界隈(に限らずだけど)にはあると思うのですが、
もっと寡黙って認められるべきな気がしてるのです


逆に読む側も「なげえ」「ヒトガオオイ」と思ったら別に真剣に読まなくていいんじゃねえかという
これを寡読といま考えた言葉で呼びますけど、
寡読は果たして悪でしょうか?



なぜ私が寡黙を悪だと考えない傾向にあるか、というと、私自身が寡読だからなんですね
これはあの、読みたくないから極力少ないほうが助かるっていうだけではなくて、
基本的に読んでもらえないこと前提で考えているからなんですよね
人の話聞くゲームではなくて狼(村人)を吊るゲーム、っていうこのゲームの能動性を鑑みれば、
受動タイムは少なければ少ないほどいいなあっていう


で長文を書く技術がない私は必然的に短い文とか少ない発言で伝えざるを得なくなる
=寡黙になるケースが多いってな話


逆に言うと、長文を書く人って、文章力がある(と自分で思っている)か、
人は自分の文を読んでもらえると思っているか、
このどちらかかと思うます


ただ読んでもらえる前提ってやっぱ息苦しいんですよね
発言をするのがあくまで手段であるのと同様、
読むのも目的であってはいけないと

まして読んでもらえたところで正しく伝わるとも限らない、ってかほぼ正しくなんか伝わらない


自覚的か無自覚かはともかく、世の中に寡読の占める割合は思ってるより多いと思います
(それでもゲームの性質上世の中比較では少ない方だと思うけど)
その中で果たして、伝わらないから言葉を費やす、は逆効果ちゃうんけ?っていう




そうそう、今回久しぶりにブログ更新したの、実は「感情的になるのはなぜか?」というお題いただいたからです

人狼において感情的になるのって多分だいたい「伝わらない」時なんですよね、役職にせよ発言にせよ


つまり何が言いたいかっていうと。
伝わらない、でフラストレーションを溜めるくらいなら、
伝わらない前提で書いたほうが結果的に伝わるようになるんじゃないかなっていう


すごく回りくどい寡黙正当化でした

人狼が敷居高いって話〜後編〜

もうだいぶほとぼりも冷めた時期に書けばセーフ理論

前編をざっくり言うと、
ルールと戦術がほぼ同義になってるから人狼ゲームは敷居が高いよっていう
ゲームの性質そのものの面のお話でした


今回は人狼ゲームをやってる人達、人狼民が初心者にとってハードルになってるよ、という単なる悪口編です



人狼民の皆さんにとって
そもそも人狼ゲームってどんなゲームでしょうか

「推理」「手順」「思考」「ロジック」「言語化」こんな感じのワードが飛び交う人狼界隈です

少なからず、「頭の回転」とか「読解力」とかが要求される、知的なゲームだと感じている人が多いのではないでしょうか

私的に人狼民が鼻につくのはこの部分だったりします

かれこれ150戦近く長期人狼をやりました

結論としては運の要素がかなり強いゲームだと思います
どの部分が運かというと役職配分です
誰が狼か、誰が村人か、ひいては誰が村に入っているか


白要素や黒要素という言葉があります。
人それぞれの言葉ですが、突き詰めるとこれは何に由来するかといいますと、経験に由来します。
「こういう狼を過去に見たことがある」「こういうことして結局村だったことがある」という経験則から皆個人を判断します。


故に。
どんな経験を持った人が入ってくるかわからない村で、それが味方か敵かも分からない状況で、どう振る舞うか、
白視されるか黒視されるか、推理が当たるかどうか、は運の要素が非常に強いです


ちなみに初心者が排除されやすい要因の1つがこの経験です

人狼経験者は過去の村を参照して判断しますが、
初心者だけは自分のリアルを参照して判断します
「喋りまくってるからなんか怪しい」とか

そりゃ困りますよね、過去村の経験から黒視されないように動いてたら、
全く違うベクトルから黒視される

そういう意味で戦術的な面でも排除したくなるのがこのゲーム

ただし、排除できるのは往々にして1つの村で初心者がマジョリティになることがほぼないからに他なりません


何が言いたいのかというと、
人狼ゲームの強さというものは、経験者がマジョリティにいるということが担保されてる状況でしか発揮されない、ということです

多数派の言う「なんか怪しいよね」を論破する方法、ありますか?

人狼民はみんなこれを嫌がります


でもこれってあくまでも経験者側のエゴですよね
初心者からしたら知ったことではない


正しいことを論理的に話すことによって吊られる、これは理不尽ですか?
私の答えはノーです
だったら周りと同じように溶け込むのが正解だと私は思います


話が逸れました


結局のところ、人狼ゲームなんてその程度なんです
その程度というのは、誰と同村するかによって変わってしまう程度のゲームです


ガチガチにのめり込むゲームじゃないと思ってます
意識高くなればなるほど損するというか世間からどんどん浮いていくと思います

人狼ゲームってボードゲームですよね?
カテゴライズとしては人生ゲームと一緒なんですよ


人生ゲーム好きで毎日のように人生ゲームで遊んでるのはいいんだけど
人生ゲームの研究して狙った目をルーレットで出せるよう練習してるの見ると引いちゃうんです


「いやでも勝つのが目的のゲームだから最善尽くさないのは本当の楽しみ方とは言えない」


そうかも知れないんですけど、
だいたいの初心者は何となく億万長者になりたいだけです

初心者じゃないけど私もそうです
タレントが強かったり株買っといた方がいいってのは知ってるけど、程度の話


カズレーザーが言ってました
SASUKEにのめり込めばのめり込む程就活には不利だって


世間の目を気にして人狼しろとは言いませんが、
世間から浮いてるって自覚があった方が初心者には迎合できると思います


だから人狼民うざいなあって感じた初心者は、割と常識人だと思いますよ
暴言〆

人狼が敷居高いって話〜前編〜

人狼のマンガがバズってました
共感はそんなにしなかったんですけどほうぼうから見えるリアクションはもっと共感しませんでした


人狼というゲームの敷居が高いよという話は、システム面とやってるプレイヤーの面で分けて考えなきゃいけないと思うです
この辺がごっちゃになってるマンガだったので、良くも悪くも反応がいっぱいあったんだと思うんだけどそれはともかく


システム的な話でいくと、人狼って初心者が想像してるよりずっとパズル的な側面が強いってのがあります

推理小説の登場人物になったような」みたいな謳い文句なので、なんかこう声色とか表情とか、そういう部分から狼かどうかを詰めていくゲームかと思いきや
占い師が何人出たから云々霊ロラ進行が云々
この辺で思ってたんと違うってなる人はたくさんいるのでは?

多分共有者の説明文見て「あー2確白村人陣営に付与するための役職ね」って気付ける人そうそういないっす

そういう部分での敷居の高さは確かにあると思うんですよね


ただあの、進行というか手順というか
そういうのって結局は共通認識という名のもとに説得で楽するための公式であって
分からない、というところに手順だから、でゴリ押す姿は私が理系を諦める原因になった数学教師のそれと重なるものがあります

それを最低限覚えてから臨め、というのはもっともなように聞こえるけど、それって結局自分達にとって都合のいい存在だけを集めて人狼したいですってだけだよねとか

それはもちろん正しい遊び方だと思います。
時間使う以上はある程度自分が遊びたいように遊びたいってのは正しい

ただ、今から言うのは極論なんですが、
初心者にありがちな「死にたくないから村人だけど占い師と嘘ついちゃった」みたいな現象、あるじゃないですか
ああいうのも含めて本来的には人狼ゲームだと私は思ってます
つーかほとんど初心者はそういう認識だと思うんですよね


まあ多くの国ではこういう行為はルールで禁止されてたりするんで、それを乗り越えてそういう行動するのは当然にしてアウトなんですが

ここから言えることは多くの人狼プレイヤーはルールによって初心者から守られてるんですよ
面白いですよね、経験者が初心者から守られないとゲームとして成立しないゲーム。

ぎちぎちに固めた手順や進行は、全員が合理的な行動を取ることが大前提に行われていて、
その合理的な行動を取らざるを得ないルールが大体の場合に制定されている


ってのが人狼ゲームの現状だと思います
何度も言いますがこれはこれとして全く問題ないことです

ただし初心者の多くにとって人狼ゲームの合理性は非常に難解ですから、この辺が排他的だと感じることは無理のない話だと思ってます

もっというとネットゲームという性質の話まで考えると、多くのネットゲーム初心者はルールちゃんと守らなきゃなんて思ってないっすよ多分
今どきシステムで弾かれない反則があるゲームのほうが少ないでしょうし
やれること=やっていいことって認識があってもおかしくない



話がだいぶ遠回りしちゃったんですけど、
人狼ゲームのルールは戦術的セオリーと実質イコールに近いことになっちゃってるって話です
ここの区別が曖昧が故に飛び越えちゃう初心者がいて、逆に飛び越えてないのに飛び越えてる!と主張しちゃう人がいる

だからまずはそこを理解してもらわないと多分話が頭に入ってこないと思います
「ルールを理解する」「戦術的に洗練される」は普通別物なんですよ(サッカーで考えるとわかりやすいです)
どっちの話してるの?って頭になって聞いてたら同一だったとなったら混乱も混乱だと思う


思いの外長くなったから今日はここまで
後編があるかは不明

モチベ下がってる説

明らかに出力が落ちている

もっと私はできる奴なんだ!
ということではなくて、
明らかに言語化をサボっている感覚

このブログ開設に大きく寄与しているのは、
人狼界隈にある抽象概念賛美主義への不満だったりするんだけど、
方向性は違えど自分もその抽象性というものにかまけて楽してる実感というか、
そんな感覚がある

村入ってる時はそうでもないんだけどね


他者に読み取ってもらう文と、
他者に行間を埋めてもらう文は
似てるけど全然違うと思っていて

今の私は完全に後者だな……という自己嫌悪みたいな

狼やる時はそれでいいんだと思うんだけど


自己嫌悪つーか結局自分もごたぶんに漏れず、
意識高そうな人狼やってんのかなあっていう


所詮は構造主義に取り込まれた哀れな人狼plなんだなっつー
楽な方に流れてる実感はしつつ
そこで抗う程人狼ってゲーム自体が好きな訳でもないから
別に治す気もないけどね!

ninjin国

書きます


私はFの1700番台からninjin国に入るようになって
長い歴史から考えると全然新参な気でいたんですけど
ninjin国が、ではなくG国がなくなる、
という表現がTLに溢れてるのを見て、
まあ、そうだよなあって思った次第


私は結構hubとかで一夜限りの、初対面の人と飲むのが好きで

そういう場って当然好きじゃねえなあって人もたくさんいるんだけど
それはそれとして楽しめるというか


ninjin国って割とそういう感覚に近かったんですよね

もちろん(半)身内村も好きで、その心地よさ、自分が受け入れてもらえることがある程度わかっていて、
かつ相手のこともある程度知っている前提でやる村も良いものなんですけど


ゲーム的な側面で言えば。
「レベルの高い村」って言われる村って、大体が参加者の多数派が一定の参加回数をこなしていて、
手順やセオリー、「黒要素」や「白要素」が自分の中で固まってる人達の集まった村だとされていて。

他国の野良村とかは割とそういう土壌が出来上がってたりしますよね
悪く言えば敷居が高い


でもいわゆる不馴れな人の扱いも含めてのゲームだと私は常々思っていて

そして舞台となっている人狼騒ぎに巻き込まれた村には「慣れてる人」は一人もいないはずなんですよ

これはゲームの設定上の話だけではなくて、
人狼で論理と言われているものは初参加の人から見れば論理でもなんでもなく、
初参加の人のいう「何となく」も尊重されるべき感覚である以上は、
結局正しい間違いは存在し得ないんですよね


敷居の高い国々がなぜ敷居が高いかというと、
やっぱりその「人狼語」がうまく話せない人から排除する進行になりがちだからだと思うんです
(その進行が悪だとは言いません)


パーティーゲームに端を発した人狼ってゲームは、人間関係とかなんとなくの雰囲気が大事なんだと思っていて。
そこには人狼語が話せない人がいなくてもいい、というか誰も話せなくてもいいはずなんです


対面人狼が世間で流行った時のあのわちゃわちゃ感、最高でした
私はなまじ人狼知ってたから一歩引いちゃってたけど、あいつ口上手いから殺そう、多分それこそが人狼でいいはずなんです



そのわちゃわちゃした空気感が味わえたのって、ninjin国だけだったんじゃないかなあって

美化しすぎかしら

権威先入観

自分軸とか他人軸とかは割とどうでも良いタイプ


というよりも
誰が話してるかで受け入れられる「自分」の許容範囲は広がるので

身も蓋もないでしょうか


しかしですね


やっぱり自分好みのイケメンが話してればある程度許せるし
嫌いな女の言うことはとりあえず否定したくなるし

逆に普段から許せる言動の人が発した発言には
とりあえず耳を傾けてみるかとなるし

(話題になってた自分軸他人軸はそもそも恋人という仲良しであるという前提なので、この観点自体は的はずれなんだけどともかく)



この辺りの、主義主張の内容よりもまずは「誰が話しているか」という感覚

ネット人狼民(というかネット民全般?)は文字というかなり少ない情報でやりとりをしているので、
「いやいや私はそんなことない」と言いたがる人が多そうですが、
私はそうではないと思います

誰しもがやっぱりある程度の言葉以外の要素でその言葉を聴いてると思うのです
だってやっぱ学者や医者の話はホントのことだと思うじゃないですか


んで
人狼においてはどんなケースがあるのか


例えばチップ。
チップによって話しやすさや伝わりやすさを感じたことがある人もいると思います


後は短文で喋っていると、強者塗りをされて言葉を尽くさなくとも言葉の意図を探ってもらいやすくなりますよね
この辺りも一種の先入観によるものです


あとは進行中とは違う話になるけど
これは某再戦シリーズで私自身が体感したことでもありますが、
やっぱエピで100戦越えてるって言うと
急に発言が再評価されたりするんですね
どんなぐずぐずな騙りっぷりであったとしても()


ネット人狼は表情や声のトーン、容姿その他が抽象化された世界なので、
極めて無機質な世界だと思ってしまいがちなんですが、
無機質な世界だからこそ
言葉以外の要素が説得に極めて有効なんだと思います
現実世界で権威や先入観に呑まれてしまうということは、
人は無意識にその先入観を持ちたがってるのだと思うのです

ポジティブな先入観を持たれたものがちゲームだと思ったいう話



これは先入観とは違う話だけどこの前疲れ眼でテレビ見てたら
睾丸が喋ってる!って思ったら
某博多のコンビ芸人の人でした
おやすみなさい