目的語マジック

考察とは、
具体化か抽象化か、というアンケートを取ったところ、
具体化が多数派のようでした


結論から言うとどっちもありです(定番)

今回はそんな話



まず、例題ですが、

ぷりむという人間を説明してください。
ぷりむという人間を知らなければ誰でもいいです。


皆さんの中に、
ぷりむという存在そのものよりも詳しくぷりむを説明できた人はいますか?


例えば人狼プレイヤーの巨乳という説明をした人は、
裏を返せば人狼プレイヤーの巨乳という要素以外をぷりむから弾いたことになります
これをむずかしー言葉で捨象というます
すなわち抽象化です


何を言いたいかというと、
人に限らず、何か対象物を説明しようとする、その時点で抽象化以外起こり得ないと思うんです

その観点において、人狼で言うところの考察は抽象化しかあり得ない訳なんですが、


なぜ具体化という意見が多いのか
それはとにもかくにも目的語が異なるからで

抽象化の考察とは目的語に人、を想定している一方で、
具体化の考察とは目的語に己(の思考)を想定していると思われます

もやもやーとした村の人達の印象に対して、
自分の思考をはっきり見える形に落とし込むという行動
これを具体化と呼ぶのであればそれは正しくその通り


では人を抽象化する目的は?と言えば、
その人をその人のまま解釈するのが不可能だからです

情報量が多すぎる、というのもありますが、
人間が言葉や名前を介してしか物の存在を理解できないように、
あるいは「もう少し具体的」な話をすれば、
絶対音感でない人がドレミを用いずに音というものを理解できないように
物自体の理解とは到底不可能だからです

つまり自分が認識したものを分かりやすく飲み込みやすい形にする必要がある
自分にとっても他人にとっても

スタートは常に抽象化です
ただその抽象化し世の中に出せる形になった何か(=思考)を具体化しなければ相手には伝わらないこともある

しかし大前提として嚥下し切れないから抽象を行っているにも関わらず
色々とあれやこれや言葉を付け足してしまうこと
あるいは抽象化したものを具体的に戻さず抽象的なワードに置き換えただけで周りの反応を伺うこと
これは本末転倒という他ない


抽象「的」具体「的」とは他の形容詞と同様にあくまで尺度です
故に、どこまでを抽象的に話すか、どこまでを具体的に話すか、
この中庸こそが美しい訳です


二択で答えさせといてなんだけど


で、
つまり今回のアンケートがまさしく、
目的語を隠匿した非常に抽象性の高い質問によって、
他者の思考に寄りかかったどう解釈しても正解!になってしまう毒にも薬にもならないそれだったのがお分かりでしょうか


意識低い人狼しようぜ