IQ3のパスタ

1.パスタをいつもより少なめのお湯で茹でます

2.適当なタイミングでコンソメを適当な量いれます

3.時任にウインナーとかツナをいれます

時東ぁみ

茹で上がったら完成です
包丁を使わないことでIQの削減(約15%)に成功



頭痛すぎる
休日のこういうときにこれ来る時だけは
自分の性を恨むね
恨むというか羨みに近ine
まあいいです


明日は久々に卓球をします

AAカップに秘められたアイデンティティ

この辺りでいよいよ乳の話をしておきます

大事な話なので心して読んでください


AAカップという言葉の残酷さを知っていますか?あるいは気付いていますか?


大きい方というのは、Zまで用意されています
人類の発展によりZカップの人が現れても大丈夫なように世の中はできています
すなわち、そこまで想定された世の中なのです


裏を返すと、AAですよ?
AAというのは、想定外を意味する言葉です

大きなおっぱいには無限とも言える想定、受け入れ体制を整えている一方で
小さい側へのセーフティネットは余りにも貧弱です


想定外の存在なんです



ところでしかし、
何故私はこんなにも胸の話をするのか、
疑問に思う人もいるだろう


コンプレックスとはアイデンティティの別の呼び方だからです

貧乳はステータスではなく、アイデンティティなのです

人は生まれ持った環境で生きていくしかありません

日本で生まれ育ち、海外で暮らすことになったとしても、
日本で受けた影響をもって思考をします
そこから脱却することは基本的に不可能と言われています
だからこそ国家の侵略戦争はタブーとされており、文化の略奪は大罪なのです

新しい人狼の国ができ、そこが基本人狼初心者で形成されている時、
必ず既存の人狼民はいいます
手順も知らんバカどもに正論言ったら吊られたわと

ハサミはカッターより切りやすいかも知れません
しかし果たしてカッターしか知らずカッターに慣れた人間にハサミを使うことを強要するのが正しいことでしょうか

結局みな自分が育った環境が正しいと感じてしまい、それを押し付け押し付けられながら生きています

これをかっこいい言葉で構造主義と呼びます

構造主義的に貧乳の思考で育った人間は貧乳の思考になります
コンプレックスとは自分のあり方に大きく影響を及ぼすからです
ご自分のそれに照らし合わせればきっとわかります



胸が貧乳なのではない、思考が貧乳なのです
わかりますか?わからないでしょうね私もわからん

自分という自分にとって都合のいい他人

自分の話をツイターでみた

自分のことを好きかどうかみたいな

好きという感覚が相対的なものである以上

自分が好きという環境にはあまりなりづらい

自分より好きな人に大体会っちゃうからね

とはいえ嫌いという感覚も相対的なものなので

自分がめっちゃ嫌いという環境にはなりづらい

自分より嫌いな人に大体会っちゃうからね

なので大体の人は

自分の好きな人ほど自分のことは好きじゃないけど

自分の嫌いな人だったり自分の知らない人ほど自分のことは嫌いじゃない

ということは全人類の上位1%に入るくらいには

自分のことが好きな訳なんだけど

それを認知してるか否かの問題な気がしている

好きな人に好かれたいと思うのはごく当たり前な感情としてあるはずなので

自分を好きな人と認識していれば

自分が好きでいられる自分でいようと努力できるので

ハッピー

自分とは自分に好かれるように行動してくれる数少ない人物なので

多分恋人とかが素晴らしいと思うのって

自分に好かれるよう行動してくれる自分のような存在だからのような

気がしますね

なぜこんなにもぽえみーなのか

最愛の人物ピエール瀧が逮捕されてハイになってるからです

話せば分かる

分かるわけねえだろといつも思っている

いくら話したところで正しい1つの結論は出ないのである

話して分からないから投票が必要なのであり
民主主義は多数決なのです

ので

たくさん話すことが人狼において美徳とされることが多いのですが
それはたくさん話せば意見に近付けるとか
思考が見えるという幻想に他ならないのでは
と思う

人狼界隈には
抽象性の高いワードを意味深にたくさん使うだけ使って
後で具体化せざるを得ない状況を作り出す
マッチポンプ的なプレイングする人が一定数存在してるように思える

意識の高い人狼と私は揶揄する


では人狼というゲームとは何なのかと言えば
意見の合う人を探して盤面に残す
意見の合わない人を許容し(自分が)盤面に残る


これしかない


人狼とは政治である
投票がある以上性質が似るのは当たり前なんですが


こう書くとある意味当たり前な気がしてると思うんですが

マニフェストが抽象的な政治家と具体的な政治家どっちが好きって聞いたらみんな後者なはずなのに
自分がやると前者になるのはなぜでしょう


答えは楽だから

人狼に似てるもの

突然ですけど皆さん合コン行ったことありますか
私はあります

合コンと人狼って近いと思うんですよね
厳密に言うと初日と合コンは近い

これは人狼に限らずですが
ほとんどのゲームには
ゲーム中に構築するものとゲーム前に準備するものの二つがあると思ってて

人狼において前者とは対話や考察を指し
後者は戦術観や白黒の判断基準だったりすると思いまして

全く知らん人達が一堂に介して
議論を始める様は正しく合コンそのものだと思うんです

一般に自分のことを喋ってばかりの人より
他人の会話を盛り上げる人がモテたり
あるいは独特さをアピールすることができれば一目置かれたり
自分が気にしてないところでも相手からはすごい気にされたり逆も然り


合コンでモテるプレイングは狼に通ずるところがあり
合コンで意中の誰かを見極めるプレイングは村人に通ずるところがある

人狼コミュ力

おちはない

公式

公式ってのは圧縮言語なんだと思うんですね
数学全く知らんけど
無くてもいいものだけどあった方が確実に便利なものって認識


東京大学の入試で、中学生レベルの公式が成り立つことを証明せよ、みたいな問題が出たみたいな
そんな話があったような気がしますけど
それに対して日本の教育は公式をただ覚えさせてるだけだ、公式は覚えるだけじゃダメなんだみたいなスケールが大きいだけのTwitterでよくバズってるようなアンチテーゼ的なものがよく語られてますけど


公式という圧縮言語を解凍できることではなく、
公式作った人がなんで圧縮したいと思ったのか
が恐らく大事なんだろうなと
数学全く知らんけど


人狼で戦術論語る人にはその観点が欠けてるよね

すなわち霊ロラだとかグレランとか決めうち進行とか
最初に提唱した人がなぜそれをアイコンとして残したのか
を考えることが大事なのであって
その戦術についての理解を深めることは大した価値ではない
気がしてる


ただし公式を提示しただけでは証明にならないのと同じように
どの部分をどれだけ解凍してあげるか、がセンスと呼ばれるもので

つまりはある角が直角になることを証明しろ~みたいな問題があったときに、
じゃあ毎回三平方の定理?を証明するべきか否か、で言えば恐らくNO
数学全く知らんけど

この辺って多分現国に近いものがあって
50字以内で(あるいは簡潔に)説明しろって言われた時にどこを削ってどこを書くか、みたいな感覚に近い


結局は抽象と具体の話に集約される訳なんですが、
公式とは正しく抽象化という行為だと私は思うんですね
抽象化されたその言葉を具体化できない、というのも問題ではあると思うんですが、
極限まで具体化してあげればいいという訳ではない

しかしそもそも公式が公式足り得るのは
抽象化されたそれが相手にとって分かるサイズの共通認識として存在してくれれば
そんなに楽なことはないからだと思う

この辺で何言ってるか分からなくなって来たとしたら
それはつまり私の抽象化が下手だということでした

バレンタインデーでした

石油ストーブ使ってるんですけど
この前灯油無くなったんで入れてたらすげえ手に石油の臭いがついたんですよ

でそのあとシャワー浴びたんですけど
私は胸がないので髪から洗い始めるんですね

そうするとなんか髪に石油の臭いが付くんじゃないかって不安に思って
バレンタインにこいつ髪から石油の臭いするわみたいな
言われるんじゃないかって思春期ミタイな不安に駆られて
まあ別に何事もなかったんですけど

巨乳の人はおっぱいから洗うじゃないですか
洗ってて欲しい
その場合
バレンタインで
いざこれからベッドにダイビング
キャストオフって時に
石油の臭いがしたとしたら
それは何となくアンドロイドみたいな感じがして
それが22世紀の幕開けになるんじゃないかって


人狼の話はありません
この前入村してました